コジカの知らない世界Vol.3 インドネシアとプレイリーの秘密の関係?

2023-02-09 公開

※今回は2022年7月にインタビューしたものを、諸事情により半年以上間をあけてしまいましたが改めて公開させていただいております!

みなさんこんにちは!

インテリアコーディネーター・コジカ(以下 K)です!

今回は、多くの樹種を取り扱っているプレイリーホームズの中でも、ちょっと濃いめ!?のものが多い「南洋材」!そのなかでもとくにインドネシアの商品について、長年仕入れを担当されてきた中村さん(以下 N)にお話をお伺いしてきました。

思わぬプレイリーのこぼれ話なんかも!?早速いってみましょう!

南洋材の特徴とは?

K 今日は南洋材のスペシャリスト・中村さんにお話をお伺いしていきたいと思います。よろしくお願いします。

N よろしくお願いします。

K 今日はいろいろお話ししていきましょう!

K まずは気になっている商品のサンプルをいろいろと持ってきました。
ローマンチークなんかは、最近出荷担当の事務さんのイチオシだそうで。

N ローマンチーク、うちの社員たちの間でも、すごくいいねって気に入ってますね。基本90%くらい柾目なんですが、この柾目が非常にかっこいいですね。重厚感があって。ちなみにローマンチークという名前ですが、樹種はククです笑

K あとはマホガニーなんかも、最近のイチオシ商品ですか?

N そうですね、チーク、ブラックウォールナットと並んで、マホガニーは三大銘木の一つですので。

K チークやマホガニーといった南洋材の、特徴や他の地域との違いなんかはあるんでしょうか?

N というか、そもそも、うちの南洋材っていっても基本的にはインドネシアなんですが、インドネシアの強みは、自国に木があることですね。
例えば中国とかだと、他国から元々の木は輸入していることが多いですが、そうすると今回のようなコロナだったりがあって国と国の貿易なんかに影響が出てくると、やはり自国の木を消費しているというのは非常に強みになります。
そこがまず一つ大きく抑えたいポイントですね。

K なるほど、確かにその点は大事なところですね。

N ただそうはいっても、森林破壊などが問題になってなかなか天然林が切れなくなってきて、例えばケンパスなんかは入荷がなかなか難しくなってきているものもあります。
でもチークだったりアカシアだったりマホガニーだったりは、植林木なので、そこは強みだったりしますね。

K 植林というと、ちょうど前回ドナオークのお話でも、管理されたドナオークの森の話が出てきてましたね。

N 植林の歴史で言えば、チークがおそらく一番古くて、オランダの植民地の時代からですね。だいたい400年くらい前でしょうか。
マホガニーにしろチークにしろ、天然のものが希少価値になって値段も上がって流通もしなくなって、それを植林って形でやり出したのがオランダ人なんですね。それくらい前から長いことやっているので、システムとしてももう出来上がってますね。

K オランダ人は、使いたいからチークを植林したんでしょうか?

N そうですね、ヨーロッパではチークは船にも使われているし家具にも使われているし、有名なところで言えばクイーンエリザベス号だとか、オリエント急行だとかにも使われてます。
チークは元々ミャンマーチーク、当時はビルマチークって言ってましたが、そちらの人気が高くて、でもなかなか手に入らなくなってきて、それでもチークを使いたいというので、植林が始まったんですね。
マホガニーも同様で、元々は中米のホンジュラスマホガニーが人気で、こちらも同様になかなか手に入らなくなってきたので、植林をし始めて。いづれも似たような理由で、インドネシアで、オランダ統治時代に植林が始まったというわけです。

K ではどちらかというと他国の都合から始まった植林事業だったということですね。

N そうですね。でももう長いことやってるので、本当に自国の木と同じというか、地産地消というか。そういう風になっていますね。
最近だと、先日久々に出張でインドネシアへ行って思ったことがありますが、ガーデンファニチャーでチークの需要が国内でも高まっていて、値段が上がってるんですが、その代替品で注目が集まってるのが、アカシアですね。アカシア自体元々デッキだったり外で使える木ですからね。インドネシアのアカシアは重くて硬いですし。高くて買えなくなったチークの代わりにアカシアへと変わってきているようですね。

過酷な仕入れの歴史

K 中村さんがインドネシアで仕入れをし始めたのはいつからなんですか?

N もう、入社して4月に、いきなりインドネシアへ出張でしたよ(笑)
海外旅行も行ったことなかったので、本当に初めての海外でした。もちろん一人で行ったわけではなかったんですが、帰りは一人で置いて行かれて、勉強してから帰ってこいとなり、しばらく現地に残って過酷な体験をしましたね。(過酷な体験談、色々お伺いしましたが、ちょっと過激なためカットします…!)

N 日本にやっと帰って来れた時は、帰りに涙が出てきて、帰ったら辞表を出そうと思って決意して会社へ行ったんですが、結局辞めるタイミングを失って辞め損ねちゃって。こんな話今の学生には聞かせられない…(笑)でも本当にそれがインドネシアの最初でしたね。

K (カットしますが過酷な体験の中身を聞いて)それは本当に、最初から大変でしたね…!まるでテレビのドキュメンタリーみたいですね…。

N 結局その後も諦めずやって、2年目くらいからは一人でやれるようになって。7、8年くらいやってたんですかね。でもその時はフローリングはほとんどやってなかったです。その後、人事異動で南洋材の担当から離れて、しばらくアメリカだったりヨーロッパだったりをやってたりとか色々ありつつ、最終的にまた南洋材に戻りました。
その色々ありつつの間にプレイリーが出来たり、フローリングを始めたりっていうのがあるんですが。フローリングも最初全然ダメで、中国に5コンテナ分くらい全部返品したこともありますし、そもそも無垢のフローリングの施工の知識もまだあまりなくて、試行錯誤しながらなんとかやって色々固まってきて、今のプレイリーに至ってるというか…話がプレイリーの歴史みたいになっちゃいましたね(笑)

K 思いがけずプレイリーの歴史も聞いてしまいました(笑)

たくさんの経験で精神的にもたくましくなったという中村さん。

K インドネシアのフローリングとしては最初どうだったんでしょうか?

N プレイリーがフローリングを始めた最初の頃は、インドネシアのフローリングは全くの0でしたね。私が南洋材に戻って、インドネシアに久しぶりに行った時に、これは宝の山だ!と。他社さんと周回遅れくらいでしたが、これはやるしかないとなって、チーク、ケンパス・・・後は今はもうない初代ローマンチークだとか(笑)、色々始めることになりました。その頃から付き合いのある現地工場の社長とは、新しい木を見つけてはやってみよう!って盛り上がったりして。喧嘩もしましたけどね(笑)

K もうお友達のような関係ってことですかね。

N そうですね、友達ですね。

インドネシアの街と空。積み上げてきたものが、ここにもたくさんあります。

魅力あふれる南洋材をもっと広めたい

N (サンプルを触りながら)マホガニーは割と最近なんですよね。

K そうなんですか?ギターでよく使ってるマホガニーと同じなんでしょうか?

N 元は一緒ですね。ただ植林なので、成長が早いので、色や重さが足りないですけどねなので着色してやってる他社さんとかもありますが、うちはナチュラルでやってみようということで、クリアで始めました。今はバーボン色っていうのもありますけどね。

K マホガニーも、三大銘木ですしね。

N そうです、なんといっても、三大銘木です。そんな三大銘木のパンフレット、もうすぐできるので、ぜひ楽しみにしててください。チークもマホガニーも、そしてブラックウォールナットも、とってもすてきにかっこいい写真がたくさん掲載されています。それからそれ以外の南洋材も、いろんな魅力とキャラクターを持った樹種ばかりなので。今日はあんまり商品の話できませんでしたが(笑)なんせ宝の山ですからね。

―――中村さんが、南洋材の仕入れに戻って感じた「宝の山!」を、ぜひ皆さんもSRなどで手に取って感じてみてくださいね。次回もお楽しみに!

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